「焼津にて」

小泉八雲『虫の音楽家』の中の一説を読んでいて思ったこと。

焼津の伝統的な生活風習や、深くて流れの早い海に観せられた八雲が、夜の海を泳いで感じた原始的な共通記憶を思うがまま綴っている一説なんだけど、これは凄まじい感性だと思った。僕にとって「夜の海」というものは恐怖の対象にしかならない。月の光も星の光もあたらない曇りがちな夜の海など特に。どこまでも広がりる暗黒のうねりや、底深いところで蠢いていそうな未知なるものの気配にに圧倒され、波打ち際に立っているだけでも辛いくらいだ。

灯籠を見たくて衝動的に海に飛び込んでしまうような、日本人より日本を知るギリシャ人(だからこそ?)の八雲はハッキリ言って変な奴だ。目もロンパってるし…。

その感性は、僕のような一般人が言葉だけで「あたかもそう感じたのだと思いこんでいる恐怖」を超えたところにあるんだろうな。

その他、収録された短編すべてが面白くて美しい。
これは今年のベスト5に入る一冊だな。

虫の音楽家 小泉八雲コレクション (ちくま文庫)

秋の焦燥感?

「ひでえ会社」だと誰もがいうが、入っちまったお前らも俺もなかなか酷い出来具合。もはや『ポリスアカデミー』とか『がんばれベアーズ』とか『ズッコケ三人組』とかの世界な訳で。勝ち負け云々以前の、コミカルな毎日が続く。笑えなくなったらただの地獄。

かといって部活動的に、だらだら馴れ合い仕事をして課長=顧問の先生を影で馬鹿にしては一体感、それで一応の安堵感、プロ野球や格闘技の話に全身全霊を尽くし充実感、なんて嫌だ。人生の浪費はもうこりごり。

ということで結果、明日からはより一層生き急ぐことに決めました。エロスの中心で、タナトスを叫ぶ。こととなりました。具体的には、まず朝く起きます。…でも、これは無理そうなので、会社に行ったらとりあえず仕事をサクサク進めます。タバコの本数を減らしフルーツや野菜をたくさん食べて、体調を整えます。他人の意見を加味しつつも、己の意志を貫きます。そして、人の信頼を得ます。


ところで、
秋は焦燥感が漂う季節だと、誰かが何処かで言っていました。

清澄白川

特に何か目的がある訳ではなかったのだけど、前々から気になっていた清澄白川駅周辺を散策。なんでも元・白川藩主の松平ナントカの家だか寺があって、この辺一帯は「白川」というのだ、とかなんとか案内板に書いてあったんだけど、既に昼からしこたま酒を飲んでいて、そんなことはどうでもよくなっていた。どういう理由でこの街に興味を持ったのか?と聞かれても正直困ってしまうんだけど、強いて言えば「キヨスミシラカワ」という音の響きは綺麗だから好きだし、誘われる。

駅を出て地上に出ると交通量の多い道路があって、道路脇には新しめの マンションや中小企業のビルが立ち並んでいる。一瞬「期待外れか…」と思ったんだけど、一本奥の通りに入ると並木があったり、猫がノソノソと歩いいるような下町ムードが漂っていて、なかなかオツな感じ。コンビニで酒を買い、少し歩いて清澄庭園へ。日本中の奇石・名石が集められているというその庭園はよく整備されていて美しかったけど、いかにも街の名所にするために「ここ数年のうちに増改しました」と言わんばかりのテーマパーク感に溢れていて、深みや「味わい」を感じられなかったのが少し残念…。石の他にも芝や苔、まだ紅葉とはいかないまでも枯れはじめた樹木、土橋、コイやカモやネコやムクドリを眺め、緩やかに流れる時間と酒の酔いに身を任せた。

…やっぱり散歩は楽しい。
そして、来週はおいしい新蕎麦が食べたい。

人生。

僕の田舎は静岡県のド田舎にあって、『少年ジャンプ』が火曜日に売られ、街にある唯一のファミレスもここ一、二年前にできたばかりという、とにかく見渡す限り茶畑と田んぼしかないド田舎。だから、小学校5年生の時に東京から同学年の女の子が転校してきた時には、みんなの憧れの的になっていた。顔がスッキリとしていて、ちょっとポッチャリ目で、冬になると赤いパーカーを来ていたその転校生の女の子が、昨日、子宮ガンで亡くなったという事を知った。 

その子が子供の頃にいた東京に僕は今住んでて、そこから横浜に通い、しょっぱい仕事の毎日を続けている。そして最近では、前の職場で自分の後輩たちがどんどん重要な仕事を任せられているのを、本人達からではなく、インターネットやコンビニに売られているその媒体自体から知らされている。もちろん、応援したい気持ちや、評価したい気持ちもあるけど、正直、悔しくてたまらない。 なんで、あいつらが必要で俺は必要じゃなかたのか? (まあ、たしかにボスのことは生理的に嫌いだったし、それ程情熱を持って仕事をしていた訳ではないけど)単に人脈を築けるか築けないか、上に気に入られるか気に入られないか、タイミングの問題なのか、己の力不足か、理由はいろいろあるんだろうけど、正直、とにかく腹は立つ! それだけ! あんな雑誌廃刊になっちゃえ!とすら、子供っぽい八つ当たり然と思ってしまうほど。だからこそ、(まだ20代だけど)30代のうちは、なんとかアイツらを見返してやると決めて、悔しさをバネにやるしかないな。村上龍もいってた。30代のうちはそれをモチベーションにできるって。ただし、彼はこうも言ってた。40過ぎるとそれは難しいし、50歳の時点で誰からも尊敬されていないのはかなりしんどい人生だろうって。

いずれにしても、人生は短か過ぎる。俺は随分サボってきた。
もう、寝る間を削ってまでも何かに打ち込んでいかないと、どうしようもなさそうだ。

やれやれ

蚤の市

お昼どき、関内大通り公園で定期的にやっている「蚤の市」で、警察ベルトを買う。
アル中風で赤ら顔の店主曰く「ここだけの話、これ、本物だよ」。銀色の地に金メッキで施された桜の大門が激渋のバックルに、白バイを思わせる白い皮ベルト。これは今じゃなければ買えない。そう思い、2000円を1170円まで値切った。職場に帰って同僚や先輩に見せたら笑われた。

にしても、この蚤の市はかなり渋い。そうとう旧作のアダルトビデオの横に、仏像や泥付きの工具、年代物の木目調ラジカセや、サバイバルナイフ、着物の端切れ、スキャットマン・ジョンのCDなんかが陳列されている。ほかにも産地直送の野菜や障害者用の自動車、李朝の磁器や、9800円のロレックスなんかも売られているのだから、ジャンク好きにはヨダレものなわけで…。ちなみに、一昨日買おうとしていた、インドの仏具風メリケンサック(1個¥1000)は売り切れていた、残念だ。

給料安いのに、30歳手前なのに、バカバカしいことにばかりに金を使ってしまう。

安定した生活はまだまだ先にありそうだ。

会社なんてそんなもの?

身を固めたい。そう思った。

毎日終電間際まで仕事して、乗り過ごした時は会社に泊まる。タクシー代なんて出ないから。それでいて給料は固定給で、最低限暮らせる程度の額。研修中なので保険料はなし。残業代が出ない代わりに支給されるのは300円くらいが相場の弁当のみ。

作ってるのは、世間一般からは冷ややかな目で見られる媒体。親や彼女にも、なんとなくしか伝えていない。名刺交換はするのが恥ずかしいような会社。

他の社員は上の悪口ばっかいってて、ほとんど馴れ合いでプロ野球やプロレスの話ばっかりしていて、そん時だけ和やか。俺は詳しくないから参加できないけど。

この年齢から出世を目指せるような会社ではない。課長補佐になるために十年はかかりそうだ。したらもう四十か…

学ぶべきこともあまりなさそうだし…

彼女からもあきれられているし、

やめたほうがいいのかな?


今日は仕事を強制終了し、明日は無理繰りお休み。
なにしようかな?

まあ、いいや。

年齢不問

年齢を気にする余り臆病になっている自分を発見。

30手前にして、23歳のカメラマンとかが先輩になる訳で、敬語使ったり、下手な態度に出たり、積極的にゴミ片付けて気を使ってみたり、ハタから見るとかなり情けない姿なんだろうけど、仕事を把握できてないんだから、まあ当然。

今日は仕事でホストの広告用の撮影があって、どうみても23、4のワカゾ−(しかも漢字もまともに書けないようなアホ)が随分幅をきかせていていることに正直ビビったけど、やっぱり同じような力関係を感じた。

夜の世界は下克上。

歳の差なんてちまちました悩みをもって続けられる仕事ではないな。

とりあえずは、腐らずに続けてみることが重要。

かと…。

それにしても最近、コーヒーや泡盛を飲みすぎて腹をこわしたり、野菜ばかり食べたくなったり、彼女から「乾物臭い」と言われてしまうのは、やはり歳のせいなんだろうか。

そうなんだろうな。