町田康の「告白」を読了。

告白

告白

町田康は20代前半のころデビュー作「くっすん大黒」に衝撃を受け、
単行本が出る度にむさぼり読んでいて、日本人作家の中では
(テイストはかなり異なるが)村上春樹以降、もっともハマった小説家の一人だ。
とはいったものの、芥川賞受賞作の「きれぎれ」が、どこか懐疑的で力がなく、
というか、あまりにもつまらなかったのでそれ以降の作品は未読だった。
しかし本作は恐るべき傑作。30歳を手前にして再び衝撃を受けた。

上方落語のようなリズム、変な擬音語、笑いと恐怖が入り乱れたような独特なムード
を持つ「町田節」は顕在で、それに乗せられて読み進むうちに、要所要所で鋭利なナイフ
で本質をえぐるような心理描写が出てきては、思考をかき乱される。ハラハラした。
読み出すと止まらない上に、たぶん瞳孔は開きっぱなしだったと思う。

狂人的な資質というものが誰にでも備わっているかどうかは知らないが、
それを言葉にしてしまったり行動に移してしまうと世間一般からはまず、
常人としては扱ってもらえない。
結果的に乳飲み児を含む10人をも残殺してしまった熊太郎はまぎれまない狂人なのだが、
この作品の凄い所は、常人の目線から狂った熊太郎の狂った半生を単なる「事件」
として書き連ねるのではなく、あくまで常人の視点をもちながらも、狂人サイドの心理に
深く踏み込み、それを暴き出している所だ。

筋書きだけを見ると、全てを壊し・無くしてしまう「救いようのない物語」(この言葉と
「さわやかな読後感」という言葉が大嫌い)なのかもしれないけど、
どちらかというと思考が逡巡して直線的に行動できない僕(狂人ではないと願う)
なんかは、この物語に描かれた思考と言語の不一致が出発点→思わぬ着地点→最終的
にとんでもない行動に及んでしまうといったような、一連の濃厚なプロセスを辿ることに
よって、そいうときに伴うモヤモヤした気持ちを紐解かれたような気がして、楽になった。
ぐったりが、ふっきれた?ような?


小説には全然関係ないとは思うけど、
「立ちくらみ」が起きた時に、短期的な記憶を失ってしまうことがある。
ソファに座っていて、咽が渇いたので冷蔵庫の中から麦茶を取ろうとして立ち上がるのだが、
「立ちくらみ」を起こした瞬間、自分が何をするために立ち上がったのかを忘れてしまい、
またソファに座り込んでしまうのだ。目が回り、軽い酸欠状態になって意識が朦朧とした中、
言葉では表現できないような不思議な感覚に陥ることがある。そういう時、頭の中に飛びか
っている言葉はこんなだ。
「これこれ、グラッときてね…。そういうことだったんだよね。最初からマイナスドライバ−
使えばよかった。ああ、なんか全ての法則が解けたような気がする。嬉しいわー。マイナス
ドライバーって何?この感じをみんなにも分かって欲しいなあ。あ、でも自分は今、立ちく
らみ中なので、わけの解らんことになっているんだ。この姿を人にみられたくない。
ところで、俺何しに立ち上がったんだっけ?」みたいな。
そんな感覚を連想させた。



きょうは豚肉とニラと小エビのチヂミ(タレは XO醤、トーバンジャン、マヨネーズ、刻みネギなどを混ぜたもの)をつくった。安物のワインをたくさん飲んでしまったせいか頭が痛い。
台風が大したことなくてよかった。